all thats jazz

色は匂えど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて 浅き夢見し 酔ひもせず(いろは歌)
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足で水掛け
この頃のスーパー銭湯ブームに便乗し、身体の疲れを癒しにスーパー銭湯巡りなぞしている。

銭湯ほど人が本当に裸になるところはないようで、浴室内に流れる館内放送も日に日に「注意項目」が増えていく。

浴槽にタオルを入れるな、水風呂には汗を流してから入れ、洗い場、サウナ内の場所取りはやめろの他、男湯でも長髪は髪を束ねては入れというものまで流れていた。

テレビ局の取材が入った時など、営業で道草を食っているサラリーマンがおふざけで、「下半身はぼかさなくていいから、顔をぼかしてくれ」という猥雑な話もあれば、何を考えているのか、浴槽内での読書や喫煙、ひげそり、歯磨きをする者もいれば、雨に濡れたズボンをサウナ室に持ち込み、渇かそうとするのもいる。

長湯で浴室で具合が悪くなったのか、湯船に沈み込んだ年配者を周りの者が誰も気がつかずに、露天風呂から僕が戻った時には湯船の中に沈み込み、あぶくが浮かび上がっていたところを助けた事もあれば、首筋から足首まで背中に刺青をいれたお兄ちゃんが店員の目を盗んで、風呂に入り、石鹸をつけ、洗い場で体を洗い始めた時に店員に追い出される場面に出くわした事もある。

何でもありの銭湯の光景の中、先日、これこそ絶句ものに出くわした。

父親とおぼしき人がジャグジー風呂に入る横で、その子供と思われる7、8歳の子が父親の顔めがけて、足で水をかけていて、父親も何も言わず、かかった水をぬぐうのみ。

放任主義の父親は数多く見てきたけれど、こんな父親は始めて見た。

この子の将来も恐ろしいけど、この父親の将来は悲惨なように思う。けれども、そんな世の中なのかなのかなと、その光景を容認してしまう自分が一番恐ろしいような気もする。

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遠足
明け方の雷の爆音と地響きは凄かった。その後の激しい雨は自然の中で生活している自分を思い知らされ、目を覚ましたけれど、月末で立て込んだ仕事をこなし、疲れた身体はその雨音でまた眠ってしまった。

昨日は札幌市が打ち出した障がい者の交通費助成見直しが、当事者団体の意見を聞きつつ、話し合いの席に着こうとしない市側の態度に対し、抗議の意味も込めて、市役所に総勢500人に及ぶ当事者、その親、サポーターが集まった。

高齢化による税収の減少から来る財政難を盾に、助成見直しを撤回したがらない札幌市は、来年4月からとする見直し実施を強行はしないという回答のみで、まだまだ不安はつきまとう。

高齢化する社会で、社会基盤として重要になるのは社会福祉のあり方なのに、所得保障も提示しないまま、生活助成を削ろうとする行政のあり方はやはり常識外れのような気がする。

たかが交通費だけれど、月々6万円強で暮らす障がい者が地域で生きるために通う作業所も、自立支援の就労施策により、働く場の利用料として、一割負担を強いられている現状、手取りの目減りは分かり切っている事であり、市民の負担増より市の財政を重んじるならば、今後の破綻は云うに及ばずだと思うのだけど。

明け方の雷の爆音と地響きを行政マンたちはどんな思いで寝床で聴いていたのだろうかとふと思う。

昨日市役所前に集まった市民たちは久々に逢えた互いの健康を気遣い、励まし合っていた事を知って欲しい。この遠足すらままならぬものにしてしまわないためにも。


市役所前に集まった人たち
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復刻

復刻されたCDのラベル

代表曲「自由への長い旅」が現在活躍する多くのシンガーたちのバイブルであると云われている岡林信康氏の初期の音源のCD復刻第一弾が手元に届いた。

復刻は絶望的とも云われていたものだけに、嬉しくなってこんな記事を書いたりする。

第一弾は関西ロックのレーベルURC時代のオリジナルアルバムが、オリジナルの形で音源も今までの復刻ではレコード会社が自粛し、カットした曲も完全収録されている。紙ジャケ仕様のもので、当時のアルバムのミニチュアもコレクター心をくすぐりもする。

小冊子のライナーノーツには当時の岡林氏の記事を掲載すると同時に、デビュー40年の歩みを振り返る岡林氏のインタビューも掲載されている。

牧師の父の後を継ぐべく、同志社大に入ったものの、父の教会の信者であった不良少女が何かの事件を引き起こした時、他の信者から激しいバッシングが教会に寄せられ、少女は教会に来なくなった事から、父との亀裂が生まれ、大学をやめて、東京・山谷のドヤ街に日雇い労働者として転がり込んだという岡林氏は、学生だった時は、ドヤ街の住人たちを見下していたけれども、自分も簡単にドヤ街の住人になれるカルチャーショックを受けたという。

反戦シンガー高石友也のライブを聴き、ボブ・ディランに憧れた岡林氏はビクターからアジテーション・ソング「ほんじゃまあおじゃまします」でレコードデビューするはずだったけれども、政治家諸氏を愚弄しているという事から、発売中止の憂き目にあった事から、反体制シンガーとして、脚光をあびるものの、反体制である事に意味を重んじる支持者たちの中で、自分を見失うまいと、フォークからロックへ転向するけれど、更なる重圧に、ステージのスケジュールをドタキャンして、山奥の村にひきこもる。

歌う歌は演歌に変わり、美空ひばりとの出逢いから歌の内容も自分と自然を見つめる歌に変わっていった時、必死に生きる事は無理しなくてもいいに変わっていったという。

日雇い労働者は今は名前を変えて、ワーキングプアという若者たちになり、必死に生きなきゃならない時代となった。還暦を迎えた岡林氏もこの国の人間たちを何とかしたい、という想いがあるのだろう。今回の復刻を岡林氏は自分の活動歴の「ほんの序章にしか過ぎない」と断り、反体制というステータスを否定し、必死に生きなきゃならないから生きた時代を振り返る。

今後、ひと月おきに初期音源が体系的に整理され、発売されるらしく、10月の第二弾はアジテーション渦巻くライブでアルバム化されたもの3点。

松本隆、細野晴臣、鈴木茂、大滝詠一のハッピーエンドとのジョイントでエキサイトする音源やいろんな曲をパロッて、ベトナム戦争で戦争の親玉になったアメリカを野次った「アメリカちゃん」が初のCD化となる。

「いつの間にか私が私でないような」「もう一度私になるために」

岡林氏の新たな「自由への長い旅」に付き合える「今」を喜びたい。

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メタボかも
急に寒くなってきたこの頃、マイミクしている俳優さんのブログでは「北海道はもう冬」という記述がされていて、フン!と思ったけれども、確かに寒い。(>_<)

春先からパソコン作業の仕事も兼業し始め、仕事後、新しい環境での精神的な疲れを解消すべく、スーパー銭湯とその横にあるうどん屋に通い続けているうちに、お腹周りが何となく、メタボ。

体脂肪計も夏場は10%前半でキープしていたのが、昨夜は10%後半に突入。

平日ブラブラしていた時はそれなりに用事を作り、動き回っていたけれど、パソコン作業のデスクワークがいかんのでしょうか?

天高く人肥える秋、来月は職場のおばちゃん200名との大ジンギスカン大会があるし、忘年会の準備も始まる。

ストレス発散に身体を動かす事を考えなきゃ、本当にメタボなのかも。

銭湯の客同士語り合う、燃料高で、寒さこらえる腹筋運動はゴメンだけれどもね。

と思う事はやはりメタボへまっしぐらなのかしら。

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本に署名する事はおかしな事だ
ラテンアメリカ文学の偉人ボルヘスの名著「伝奇集」に「本に署名する事はおかしな事だ」と明言する箇所がある。

「剽窃の観念など存在しない。すべての本が、時間を超えた、無名の唯一の作者の作品であるという事は確かな事だ」と続けて、ボルケスは云う。

名著「不死の人」でもフランシス・ベイコン「エッセイズ」を引用し、「すべての知識は追憶に他ならず」「すべての新奇なるものは忘却に他ならず」と語りもし、無名の書物たちの掘り起こしに尽力された人でもある。

現代社会に「著作権」なるものが大手を振るようになったのは1970年前後のようで、それ以前に巻き起こった過去の文化の掘り起こしであり、民衆史の発掘でもあった「フォークブーム」の反動のような形で、「フォークブーム」の発信地アメリカを始め、世界的に「著作保護」が法制化されていった。

クラシック音楽のドボルジャーク、ラベルなどの「民謡」の編曲に限らず、近代における文化の搾取の憂き目にあっていた第三世界がこの「著作保護」に黙っているわけもなく、未だに続いているボサ・ノーヴァのジョアン・ジルベルトの初期作の著作権裁判などはよく知られた話でもある。

「先進国」の「著作保護」に対し、音楽ではレゲエやラップなどでどこまで「加工」すれば「オリジナル」なのかを競うジャンルが生まれもしたし、総合芸術とされる映画はどの部分が誰の著作か問う裁判が絶え間ない。

ボルヘスが問う「署名」の矛盾とはこの世の中にその人だけが作り出す「オリジナル」などあるはずがなく、誰かしらの影響や感銘を受け、「語り部」として語り継がれるのが「著作」であり、歴史の継承の証ではないのかという視点であろう。

日本神話の黄泉の国の話はギリシャ神話の「オルフェ」と類似しているけれど、そこに語られる事を「剽窃」などという論議でみていくと、事の本質を見失う。

大手企業のアイデアが中小企業のアイデアの盗用であるなどはよくある話で、ミニシアターの映画館主が、幕間をなくしたのも、レディスディを企画したのもミニシアターの苦肉の策なのに、シネコンがマネをしたという話を聴きもする。

文化の源である大道芸も「流行」のコピーから始まり、そのエネルギーが次なる文化を生むといわれているのに、「著作保護」により、新たな「オリジナリティ」はその限界に達しているとも云われ、映画の都、ハリウッドでも旧作リメイクや第三世界の監督たちにハリウッド映画を作らせるという異文化混合の試みがなされもしている。

ミッキーマウスを越えるキャラクターを生み出せずに「著作保護」延長をごり押しするディズニーなどの話もあるし、日本では「映画監督は映画の著作権者ではない」とする配給サイドよりの法律もあり、企業のための「著作」がますます強くなっている。

「著作権」を行使するならば、廃刊、廃盤などで触れられなくなった「著作」の「見る権利」を補償しろと云う話も聴くし、字幕や音声などで文化物に触れられる機会を得られるようになった障がい者たちが「著作権」により疎外されている事例もある。

「語り部」文化を嫌うことに対し、ボルヘスが「本に署名する事はおかしな事だ」と語る事はもっともな事と思うし、文献の引用頻度で、文章価値を競う価値観もあるらしい。

文化を如何に共有するかは、その時代の豊かさのバロメーターなのに「俺、俺」主義の「著作保護」は今なお大手をふるっている。

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スマートフォン
ヤフオクで、同じ北海道からの出品というので、送料も安く済むと思い、落札出来なくともと悪戯心にAdvancedW-ZERO3[es](WS011SH)を入札したところ、落札してしまった!

これでまた余計な出費をしてしまったけれど、使いこなせるかな?

来年に始まるという次世代PHSに対応していなければ、(涙)なのだけれど。

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元ちとせ
今宵は石狩新港でRISING SUN ROCK FESTIVAlL 2008 in EZO

いたこさん、元ちとせも来るとの事で、見てみたい気もするのだが・・・。

先日、ヤフオクで落札した新譜『カッシーニ』もちょうど届きいたことだし、まずは耳満足で我慢するか。

YouTubeにて元ちとせ様を検索すると以下のおもしろセッションを見つけた。

矢野のお姉さまは元ちとせの将来かも知れない。(笑)



定番曲もお付けしておきます。




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ストリートビュー2
お休み日とお盆の休みが重なって、損した気分の夏休み。

Googleマップのストリートビューの関心が高いようなので、続報報告。

ストリートビューの使い勝手を試してみると、それぞれの地点での画像回転はマウスドラッグでほぼ360度回転見回せるようで、撮影者の足下のみが写らないみたい。ただ、上空まで移動し、そのまま、向かいの建物を逆さに見せるなんて云う事が出来ないのが残念ですね。

ストリートビューをドライブ感覚で移動していける機能もいろいろ見ていくとやはりクレームが多いのか、ところどころ画像削除のブランク地帯があったり、移動しているはずがとんでもないところへワープしたりする箇所を見つけもした。

そんな操作をしている時、個人を特定出来ないように、顔はぼかすというストリートビューの趣旨は判るけど、個人は顔だけで判別する訳じゃないという当たり前の事に気付かされた。

よく知った知人がひょんなところでその特徴ある姿形を映しているではないか。

あら、お兄さん、何やってるの。

プライベート保護がいくら配慮されたとしても、知り合いはそれぞれの特徴を掴んでおり、写った人を見分けるもの。

写る人物はすべてぼかしが入りゃなきゃ、クレームのタネになるだろう。

街頭ポスターなどがぼかされていて、選挙事務所の名前がはっきり判別されるのも、場所の目印なのか、個人の特定なのかもボーダーだろうし。

時代を先行くするGoogleもべらぼうなコストと引き替えに、無謀な事を始めたものだ。

今のところ、日本の他は、アメリカ、オーストラリア、フランスが公開されているようで、日本でも東京、横浜、大阪、京都、仙台、札幌のそれぞれ近郊と限定されているみたいだけど。

ひと月前後の行動範囲で知られたくない場所での激写をされていないか要チェックだけれども、アクセスすればGoogleの利益。

「堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び」Google社会貢献に奉仕する時が来たようである。
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ストリートビュー
アルバイトの後輩から聴いたGoogle ストリートビュー。

試してみると、友達の家が丸見え。これ、やばくない?

「ブーム」ではしゃぎたがる奴らはプライバシーなんかクソ喰らえと喜ぶんだろうけど。

mixiの日記を検索すると、自分チの前の画像を載せて、来る日が判っていればお尻を見せてあげたのにと書いていた。(笑)

家はまだエリア外だから、載っていないけど、「Google ストリートビュー お断り」と立て札でも立てとくかな。

出刃亀ばかりが流行る世の中、ストリートビュー・ストーカーなんていうのも流行るのかも。

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自分供養
実母が亡くなり、35回目の命日。

先週からの夏の疲れは夏風邪となり、しつこい咳、鼻水に悩まされ続け、まだ残っている。

今日は仕事後、叔母の家に寄り、ススキノど真ん中にあるお寺さんに納骨してある実母と養父の墓参り。

実母が8月12日、養父が12月12日と月命日が同じ日で、実母の命日には僕の誕生日である11月28日の数字が全部入っている。

仏供養は自分供養とも思ったりするけど、お墓参りの帰り道、赤い灯、青い灯の極楽通りに迷い込まないように気をつけなきゃ。

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